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ニコニコ生放送収録 原田曜平さん×TOKYO PANDAさん

 先日、日本及び中国の若者研究を手がける博報堂若者生活研究室アナリストの原田曜平さんと、中国の瀋陽にて医療実習生兼ファッションブロガーとして活躍されているTOKYO PANDAさんの対談、“ニコ生トークセッション 中国ワカモノ最新事情”の収録にご一緒させていただきました。


撮影前 今回のセット



 撮影は都内某スタジオで行われましたが、お二人がいらっしゃるまでスタジオは慌ただしく、私は外の階段で待つことに。スタジオ内にお邪魔すると、たくさんの機材。初めての収録現場に気が引き締まります。
 そして原田さん、TOKYO PANDAさん登場。名刺交換、台本の読み合わせを終え、準備が進んでいきます。PANDAさんは久しぶりに日本に帰国されてニコニコ動画の仕組みを知らなかったようで、リアルタイムでコメントが投稿され、それを話し手も見ることができるという仕組みに驚いていらっしゃいました。悪いことを書かれたらどうしようと緊張されていたようですが、ぱぱっとメイクを直し、話慣れた原田さんやスタッフの方と接してリラックスに努めていらっしゃいました。


撮影前 ばたばた
台本読み合わせ
名刺交換タイム


 今回はドワンゴさんの新たな試みで、PANDAさんに久しぶりの日本を満喫していただくために特に話題も振らずお茶とお菓子をいただくという“お茶タイム”という時間が設けられていました。そんなまったりした感じの収録がついに始まります。


本番前



 TOKYO PANDAさんは沖縄生まれ東京育ち、2005年中国の瀋陽にある医大を卒業し現在は医療実習生兼ファッションブロガーとして忙しい毎日を送っている方です。彼女のブログには1カ月に50万件ものアクセスがあり、中国最大のネットショッピングサイト“淘宝(タオバオ)”で一躍有名になり、そして今や中国を越えて日本でも大注目されている女性です。
 瀋陽とは人口700万人の大きな都市ではありますが、日本人は少なく、今では少しずつ発達してきたものの、彼女が留学した当時はロバが道を走っているような田舎だたそうですが、PANDAさんは高校生の時にオーストラリアへの語学経験があり、その経験もあって見ず知らずの瀋陽に向かうことに恐怖を感じることはなかったそうです。漢方医学を学ぶという夢へ向けてPANDAさんの瀋陽生活が始まります。
 中国の大学生は寮で集団生活を送るのが主で、アルバイトもしないのが普通。日本の学生とは違い、学生たちは呑みにも行かず、ネットでゲームや通販、チャットを楽しんでいるそうです。中国ではネットが普及しつつあり、ネット人口は4億7千万人。その中で約6割が30代の若者。中国語は文法しか学んでいかなかったという彼女は、ネットで人と触れる中で中国語を学んだり、発達したネットで彼女好みの洋服を買ったりして学生生活を送っていたそうです。そしてPANDAさん自身もBBSから自身の趣味であるファッションのコーディネートを紹介する発信者になっていきます。しかし、日本人というだけで風当たりは強く、開設当初は戦争の惨い写真を投稿されたりと誹謗中傷を受けてしまいます。それでもPANDAさんは、BBSの運営会社に電話してコメントを消してもらいながら、BBSを続けていったそうです。投稿を続けていると、洋服の着心地や着丈など詳細を聞かれたり、洋服を購入した場所のURLを聞かれたりとPANDAさんに興味を持つ女性がコメントを残すようになり、それをきっかけに、一眼レフで実際に服を着ている写真を撮り、URLを載せるといったファッションブロガーTOKYO PANDAさんのスタイルが誕生したそうです。

 今やPANDAさんがブログで紹介した洋服は市場規模5兆円の淘宝で爆発的な売れ行きを見せ、“日本人でありながら異国である中国で同世代の若い女性の支持を得ている女性”として、中国進出を計る日本企業にとってとても重要なキーパーソンとして注目されるようになりました。
 夢に向かって恐怖に臆せず、誹謗中傷に負けず好きなことを貫くことができるPANDAさんは、とても意思が強い方だということが分かります。

 PANDAさんいわく、中国人は、自分が面白いと思うことにはコメントし、つまらなければコメンとはほとんどないなど、ざっくばらんな性格であり、またお金の使い方に関しては、欲しい物は狙いを定めて安くなってから買う、本当に欲しい物なら安い物で代用したりはしない、といった堅実なところがあるそうです。
 中国人はそれぞれが堅い意思を持っており商品を見定めているということでしょうか。それを肌感覚で理解し、数字として結果を出しているPANDAさんは確かに企業にとって重要な存在であると原田さんは分析していらっしゃいます。
 そこでPANDAさん自身も、ブログに広告色を出さないようにする、ファッションコーディネートだけでなく生活感を出したブログを書く、モデルさんやファンの方と触れあうことでファンの方の心を離さないよう努力しているそうです。


 “お茶タイム”を挟みつつ、まったりと対談が進んでいきます。


 ところで、なぜ今中国の若者が注目されているのでしょう。
 それは、日本では高齢者がお金を持っているのに対し、今の中国では若者層がお金を持っているため。そして共産主義下で男女が共に稼ぎ、消費するため。以上2点から、ファッションや系商品業界なども女性をターゲットに中国進出を計っているのだと原田さんが解説してくださいました。
 では中国の若者たちに今流行っているものは何なのでしょうか、PANDAさんが紹介してくださいました。
 まずはインターネット。ネットの普及率は上がっていますが、それでも地域で見ると2〜3割。普及率をさらに上げる一方で、企業はネット広告などで商品をPRすることを進めているのだそうです。
 そして日本でも大人気のキャラクター、“りらっくま”。お菓子ではケーキ、iphoneケースをデコること、カップルで着るペアルックTシャツなどなど。中国の若い女性は束縛が激しい傾向があるそうです。ペアルックTシャツは少し驚きますが、ペアリングやおそろいのストラップなどは日本でも販売されており、聞く限りどれも日本にない傾向ではありません。日本で流行ったものが世界に発信されてその国でも流行っていると考えると、中国人と日本人の感性は似ているということができるでしょう。
 ファッションでいえば、上海から下の南の地域の方が洗練されていて、白や黒のモノトーンを着る人が多いのに対し、北の地域では色味の強い原色カラーのコーディネートをする人もいたり、地域によってムラがあるそうです。PANDAさん自身も上海に出かけたときの話をよくされていて、上海が大きな消費都市であることが伝わってきます。

 原田さんいわく、ファッションなどの娯楽や自動車などの大きな買い物をする若者は“富二代(お金持ちの家に生まれた子ども世代)”と呼ばれる層であり、価値を見込んだ商品なら手垢が付いていたものでも展示会で即決してしまったり、売っている所までどこまででも買いに行ってしまうようなハングリー精神を持っている人たちなのだそうです。価値を見込んだ物に貪欲になることができれば市場も円滑に回動きます。無駄を嫌い、財布の紐が固くなっている日本人が見習うべきところかもしれません。

 PANDAさんにとって今の中国の魅力は、経済成長が日々目に見えて、国が豊かになるのを肌で感じることができること、とおっしゃっていました。しかし“富二代”の言葉が象徴するように、お金持ちばかりがどんどん豊かになり、格差が固定されてきているのが中国の現状です、と原田さん。格差の是正は中国発展の大きな課題となりそうです。

 最後にPANDAさんは今後どのようなことをしていきたいかという質問に対し、中国を拠点に日本の親善大使として両国の懸け橋となり、また医学の知識を生かして商品開発などに携わりたいとおっしゃっていました。

 日中関係が問題化した昨今であったので、議題としては面白いけれどコメントが荒れないかとディレクターさんは冷や冷やしていたようですが、来場者数は1万2千6百万人。皆さん大満足で終えることができました。
 PANDAさんは感覚的なことや、日常を思い出しながらお話をしていたので説明に苦労することもあったようですが、アナリストの原田さんの解説が入り、お二人の掛け合いは素人の方にも分かり易かったのではないでしょうか。この様な機会をご一緒できて学ぶことが大変多かったです。

 最後にPANDAさんに写真を撮らせていただきました。お疲れのようでしたが快く承諾してくださり、赤白青のトリコロールがとても可愛かったです。


TOKYO PANDAさん



 お二人のお話を聞いて私が感じたことは、他国を知ると同時に自国を理解しなければならないということです。グローバル化の影響で私たちは国境を越えて世界に足を運べるようになり、インターネットで様々な人と出会うことができるようになりました。日本企業が海外に精通した新卒を採用する傾向にあるため、教育機関は学生たちに様々な留学プランを提供しており、留学者数は上がっているというデータがあります。しかし海外に目を向けている学生は、どれくらい日本のことを知っているのでしょうか。相手とコミュニケーションを取るということは、相手を理解すると同時に自分を理解してもらわなければなりません。日本が混乱の中にある今、日本のことを深く理解して日本を魅力をアピールするとともに、中国人のハングリー精神のように、日本に足りないところ世界から学ぶといった姿勢が、これからの時代を作るカギなのではないかと私は考えます。
 そして、“メディアリテラシー”という言葉がありますが、反中感情を煽るニュースや、個人の口コミ等を見ると、あまり中国に魅力を感じない人もいるでしょう。その中でどの情報が正しくて、報道されたニュースにどのような偏りがあるのか、それを踏まえて中国という国を判断するには、やはり数字や文章などから得た形だけの情報では材料として足りないのではないでしょうか。PANDAさんのように、自分の目で見、肌で感じること、そして自分の頭で考えることが、本当に“知る”ということだと感じました。
 目まぐるしい経済成長を遂げる中国を見ることは今しかできません。ぜひ皆さんも中国に足を運んでみてはいかがでしょうか。


http://live.nicovideo.jp/watch/lv60242188


3・11後の社会デザイン シンポジウム議事録風メモ 後編

(議事録 後編)



●第二部:国土・都市・居住

●登壇者(概要レジュメより抜粋)
大野秀敏…建築家。東大教授。縮小する都市の観点から都市の再編を研究。
松隈章…建築家。阪神大震災で被災。過去の歴史をいかした復興を考える。
山崎亮…コミュニティ・デザイナー。市民参加型の町づくりを行う。
永山祐子…建築家。永山祐子建築設計主宰。
家成俊勝…建築家。ドットアーキテクツ共同主宰。阪神大震災を経験。
山本理顕…建築家(詳細は一部参照)
広井良典(ビデオ出演)…千葉大学教授。持続可能な福祉社会を提唱。

【震災で感じたこと・復興について考えること】

○山本
 脱・一住宅一家族の住み方。地域社会圏の中で様々な問題を解決する社会・町。
 景観としての町、記憶・バックグラウンドとしての景観。
 三浦展「ファスト風土化」は20世紀建築・都市計画の形であり、結果。

○家成
 一住宅一家族はダメになっていく。物事を単体で考えることが成立していない。住んでいる人たちを郡・集団として考えることで「互助」の関係を再構築できるのではないか。
 昔の互助は血縁や地縁などの固定的なものを前提にしている。現代の流動化した状況の中ではいかに「互助」を作り出せるかということ。

○松隈
 東京はインフラなど都市機能が麻痺した。しかし、それだけで済んだことが大事。今回の東北の震災は東京の予行練習になったし、都市の脆弱性が明らかになった。だからこそ、これから日本の、東京の在り方について考える意義がある。

○永山
 被災時にオランダにいた。そこで思ったのはリアルなインフラが麻痺する中でツイッターというインフラが強く思えた。仮想の場としてのネットワークも大事になっている。社会を考える中でシステムの一つとし情報インフラが重要なファクターになっていると思う。


○藤村
 確かにツイッターなどを通じて2011年的な互助が見られた。しかし、その一方でそのインフラの外(ネットの外)にいる人はどうなっているのか?どうするべきか?これも大きな問題。

○広井
 震災前も後も日本の問題は変わっていない。ただ、震災によってその問題が先鋭化された。だから、やらなければいけなかった改革を加速化させていくべき。また、地方への安価な依存が露呈したが、是正すべき。

○山崎
 「つくる」ということを続けていいのか?という阪神淡路での気付き。
 被災地において「家の外に出たいな」という良質な動機が必要。家に篭って誰にも合いたくないという気持ちはよくない。(阪神淡路でも孤独死が頻発)被災地の中で新しい「つながり」をつくる動機を誰が提供できるかが気になるし、取り組みたい。また、政策の最後の部分は現地に任せるべき。そうしなければ、被災者がお客さんになってしまう。支援する側、される側に二分してしまう。支援する側のコミュニティの作り方・デザインも課題。

○大野
 日本は昔か個人(市民)は優秀だが、政府が無能という構図があり変わっていない。船中も「兵は優秀、将に才なし」とされていた。
 一住宅一家族というが、今では核家族より単身が世帯数で超えた。また、孤独氏三万人だというが、それ以上に生涯単身という男女が将来増える(三人に一人)という観測のほうに驚く。ひたひたと「寂しい社会」がやってきている。今の若者がする「人と距離をとる」というのでこの社会を超えられるのか?
 また、今のような制度しか出せない政治に問題があるし、空間と経済の関係を考えなければいけない。(一部に通じる話)

○三浦
 互助は地縁・血縁がなくともツイッターなどによって補われていた。
 独身が増えるという話があったが、2055年には81歳が一番多くなるとされている。これでは日本自体がなくなってしまう。環境や地域社会モデルだけが持続しても意味がなく「子供を産み、育てる」という部分に互助がなければいけないと思った。


○松隈
 神戸の震災では、「町の脆弱性」や「街にいかに知らないことが多いかという怖さ」を実感した。

○家成
 建築が遠くにいきすぎていないか?つくるのが難しい、直せない、壊せないということが多く問題。身近な建築の模索はできないか?自分たちで手を加えられる、熟知できる家はできないのか?家や車が流されるのを見て「誰が30年ローンを組んで家を買うか!」と皆が思う中で「家を買う」ではなく「家をつくる」という観点がないか。その中で取り戻せるものがあるのでは?

○山崎
 「つくる」と「つかう」の関係性に可能性がある。コミュニティの形成は未だに地縁に基づくところがあって主体的に市民からつくっていきにくい。だからこそ理由をつくってくれる人・動機付けが重要。自分のいる限界集落的な農村においては三浦さんの言う「将来、皆が高齢者」という現状が既にある。20年後の都心の姿がある。いわゆる建築家ではなくアーキテクト(下部構造をつくるような人材)がコミュニティ形成ではやはり必要。

○広井
 都心が地方にエネルギーや食料において安価に(不平等に)依存していることが今回の震災で明らかになった。これは途上国と日本の関係にも似てる。
 都市から農村・漁村への再分配が必要。その時、若者の復興支援隊が必要なのではないか。しかし、だからといって若者から搾取してはいけない。現地の若者にも15万〜程度の支給があるべきだし、そういった数百億規模の政策が必要。

○三浦
 ドライな言い方になるが、超高齢化した農村・漁村にわざわざ再分配する必要だろうか。
 また、再分配されるべきは物ではなく、「人」や「コト」(event)である。
 復興も元通りでは30年後にどうせなくなってしまうからそれでは復興とは言えない。
 復興した若者が「復興したところだし、ここに住もう!」というようではなきゃいけない。

○山崎
 アメリカのニューディール政策(再分配)ではダムなどの公共事業が有名だが、それだけではない。農村などに300万人の若者を送り込み、それがその地域に住み着いた。(現地の女の子と結婚したり)また、その多くがレンジャーとして国に抱えられて地域を守っている。日本にはレンジャーは240人しかいない。それではダメで、広井さんの論点にあるように若者や人を送り込むというのが一つの方向性になっていくべき。

○山本
 一住宅一家族の住宅の中では子育てはできない。一住宅一家族は子作り(セックス)においては大きな役割を担い、子供も増えた。しかし、その中に子供を育てるシステムがなかった。日本行政のセクショナリズム(縦割り)は本来一つの循環器である街を分化している。(例えば、補助金もバラバラ)そうなると若者を送り込もうと全体的に考えたときに動けなくなってしまう。地域社会圏・共同圏という考えはそういった発想の中で建築家ができること。

○藤村
 日本的な農村コミュニティが戦後の原発開発など高度なインフラの開発とそれへの依存の中で工業国化してしまった。高度なインフラに依存している。そういった矛盾が一気にでてきたのかもしれない。

○大野
 原発の危険に対する予期と安全プロパガンダ・レトリック。なーなーな危険意識が決定的な要因。「不都合な真実」が社会にある。また、農村や漁村に対する沢山の「負の記号性」を少しでも「プラス」にできるかが大事。世襲産業化した農・漁に若者が就職を考えられる社会意識をつくることが大事。

○山崎
 例えば、関税の問題(車(工業製品)の関税を下げず、代わりに農作物の関税をさげる政府の工業化政策)が地域社会を壊している。そんなシステムでいいのか?グローバル化がローカルを壊す仕組み。建築家のバランス感覚、様々な要因をアーキテクトするバランス感覚がポスト311の中でもっと活かせるはずだし、活かして欲しい。


【今後の課題】

○永山
 お話聞けず。。
○家成
 一対一の関係が都市では難しくなっている。
○広井
 鎮守の森エネルギーコミュニティ構想。戦前は地方がエネルギー政策を行っていた。戦中に中央集権的にエネルギー政策をはじめ、それが戦後も続いているが、もう一度地方にエネルギー政策を戻す。
 また、日本の都市は福祉が圧倒的に不足している。町の中心地に福祉施設がある街にできないか。都市所有の在り方も同時に見直すべき。

○松隈
 街をもっと知るべき。そこには規模の問題がある。人が把握できる規模。今の街・社会は点としてしか(例えば、勤務地と家の周りだけ)とかしか把握できていないんじゃないか。(塩屋百人百景・塩屋百年百景)建築・都市に対する市民の理解を深めることが大事なんじゃないか。

○大野
 広井さんの「町の中に高齢者施設」というのは人口の40%が高齢者であるときに、そんなことは在り得ない。街全体が対応する今までの文脈を越えた発想が必要。また、所有権ではなくて議論すべきは「利用権」。今後はものづくりではなくてマネージメントが大事。「知恵」で勝負できなければいけないし、それはグローバルな競争の中でも然り。
 また、毎年3万人が自殺しているのに対する費用のかけ方・扱いは今回の地震(2万人)とは釣り合わない。それでいいのか?そこにはお金をかけないのか?また、様々な論点は時代の変化の問題として捉えなきゃいけない。地震はあくまでその問題を加速化させているだけ。

○山本
 法や建築基準にも沢山おかしいところはある。問題は、我々自身がその問題を認識するということ。

○三浦総括
 現代の様々な制度や論理が機能不全になっている。かなり前からそうだったが、それが「延命」されていたし、オルタナティブとなる制度がなかった。でてこなかった。古い大きなシステムの代りに大きな新しいシステムを探していたからうまくいかなかったのではないか?もっと小さなシステムの集まりでいいんじゃないか。また、モノからコトへ、所有から利用へと変わってきている。
             
                                     (了)

一口メモ(感想)
経済と都市計画の話、住宅供給とコミュニティ生成の関係性などの話は面白かった。
また、アーキテクチャ的な視点から今後の日本、社会デザインについて議論されていた今回の話は貴重。
ただ、都市論がメインだったが、情報空間での運動性とか市民連帯系の話も深く掘って併せて聞けたらより統合的な議論になって面白かったかなと思った。(議論の一貫性のためにあえて話さなかったのだと思うけど、あれだけ識者だらけだとぜひそこらへんの認識について聞きたくなってしまう。)
震災によって新しい問題が起きたというより以前からの問題が顕在化・先鋭化したという帰結には大変納得。

これからの日本を背負わざるを得ない自分たち世代には避けられない命題だと改めて痛感。


ということで、シンポジウムの裏では堀君が新潟に調査に行っているのでそちらの報告にも期待です!!


ではでは

杉田

3・11後の社会デザイン 東北の再生と日本の再編 前編

んにちはーー!!

連日、真夏の陽気で太陽サンサンという感じですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
僕は毎日滝のように汗をかきながらも最後の学生生活を楽しんでおります!!

ということで、昨日は日頃からお世話になっています三浦展さんのシンポジウム@新橋に参加してきました。
311後の世界について沢山の識者を集めたシンポということで楽しみにしていたのですが、為になる話だらけでした!!
以前参加した東浩紀さんのISEDシンポも社会設計の話でしたが、この二つを聞き比べられたのは幸運でした!

311sympo

以下、はじめて挑戦した議事録を載せておきたいと思います!!
本当にお粗末で聞き逃しや文脈の不透明さが目立ちますが、メモ程度に。。苦笑
というか、かなりエッセンスの拾い読みようになってしまいました。
面白い話もいくつか拾えているので興味のある方はぜひ!!

また、詳しくはツイッターで「#s311sympo」と検索していただければ流れをより明快に追えると思います。




(以下、議事録 前半)

■三浦さんシンポジウム 311後の社会デザイン

総合司会:三浦展 各界司会:藤村龍至

●一部:社会・地域・政治

●登壇者(概要レジュメより抜粋)
 松原隆一郎…社会経済学、相関社会学。東京大学教授。景観論も展開。
 中村陽一…NPO/NGO論・地域社会論。立教大学教授。
 大月敏雄…東京大学准教授。同潤会の視点から震災後の都市、住宅を考察。
 島原万丈…リクルート住宅総研。今回の震災で「仮住まいの輪」を立ち上げる。
 山本理顕…建築家。山本設計工場主宰。地域社会圏モデルを構想。
 藤村正之(ビデオ出演)…福祉社会学。上智大学教授。

【震災で感じられたこと。復興について考えること。】
○山本
 「一住宅一家族」
 →自己責任型の住宅供給は正しいのか?震災では流された家の負担が自己負担になっている。この供給システムのままでいいのか?
 →現代におけるプライバシーの重要性は建築・住宅の供給の仕方と関係してる。
  経済成長は目的化されるものか?
 →経済成長を国家の目的として、それは幸せにつながるものなのか?
 →住宅システムと経済成長の関係性。住宅も変わらなければいけないのでは?
 助け合う住宅・コミュニティは「偽善的」?
 助け合って住む、に感じてしまう偽善性。20世紀特有のメンタリティ。

○島原
 住宅が余ってる、700万戸も。これ以上、経済成長のために家を建てるべきか?
 あるものをリノベーション・再分配できないか?
 震災二ヶ月間、体育館しかないという現状。

○藤村龍至
 →95年阪神淡路はボランティア元年であり、ネット元年。今回のツイッターは震災において力を持った。


○大月
 戦時下において「いかに迅速に家をつくるか」が発展し、それが一住宅一家族的なシステムやそれによる経済が計画された。
仮設住宅は取り組むべき課題か?仮設住宅はODAに似ている?日本→途上国の図が都心大企業→被災地が重なる。
 非常事態なのに平常通りの行政。非常事態として免責や権利の現地への譲渡はないのか?現場の創意工夫が阻害される様々な要因。
 静岡県以外、被災に対する事前のシミュレーションがなされていない。それが今回も自主性のない復興・対策の原因では?

○中村
 生活者起点の社会デザイン。
 全てのことが科学的・合理的に考えれば解決するという考えの驕り。いかに実際の現場、民衆知を活用し地域をデザインできるかが鍵。
○藤村
 大震災4つの事故。地震、津波、原発、電力不足。

○松原
 阪神淡路の教訓。6時間以内の避難が肝要、政府にできる部分ではなく自助が大きい。
 政治と現場のすれ違い。

○三浦
 政府と現場の空回り。その中間が必要なのではないか?中間共同体、民間が公を担う社会、コミュニティを醸成する街・住宅作り。

○藤村
 民間はツイッターなどでつながっていく。一方、政府の遅れ。そういった対立がある中で中間が大事。

【東北の復興においての社会デザインについて話していきたい。】

○中村
 311で平時に見えなかったものが顕在化してきた。
 阪神淡路以降の15年のNPO・NGOの醸成。
 NPOにも現場型と中間型がある。この組合せが課題。
 市民的な専門性の情勢やNPOが「財やサービスの提供」という面に寄りすぎているという自己反省も必要。(政府の下請け化したNPO)

○島原
 これから人口が半分になっていく。インフラを15年かけてつくるときに東北は過疎化・高齢化している。その中で東北の「復興ありき」の現実性や妥当性・お金の分配についても考えるべき。何百年後にないかもしれない街の復興とはどうあるべきか?
中間共同体はNPOなどの「団体」と考える必要があるのか?新しい中間組織の在り方。
 今後10年の東北復興もこのような形で行われていくのでは?

○松原
 次男、三男が都心で家族を作る。家族が細胞分裂を起こし、新しい家族が郊外に家を作る。それが需要として成立していく。80年代の成功体験から余ったものは海外に出していくという発想。35年ローンで28年でスクラップにすべき住宅を作る「スクラップ&ビルド」の現状。(アップル製品、ソニータイマーと類似型?)
 大企業が輸出して設けるための構造が経済にある。輸出して得た外貨で円高になると海外にモノがだせないのでアメリカ等の海外金融資産を買って円安を促す。海外純資産世界一。それが財界の方針であった。
 経済成長の中で「つくる」ことに固執して「いかに使うか」ということが軽視されていたが、これからは「いかに使うか」を考えていかなければいけない。

○山本
 消費者と呼ばれることは正しいのか?消費ではなく「生活者」なのでは?建築も経済的な消費物ではない。生活という発想が著しく足りていないのでは?
 「一住宅一家族」は中間的な関係をつくらない隔離施設。今後は「助け合う住宅」がいかに作っていけるかが大事。だけど、「プライバシー」的な身体感覚(私達の一住宅一家族的な刷り込み)が「助け合う住宅」を拒否してしまっているのかもしれない。

○中村
 農村は誰もデザインをしていないが、デザインされている。農村という関係がデザインしている。今後の復興・街作りはそうした「共(公?)的な主体性」が大事。


【今後の課題】
○大月さん
 復興とはかくあるべきか?戦後の復興は今も続いている?(マッカーサー道路)どこまでが復興なのか?
 復興計画がなければいけないのか。それ以上にそこにつながる仮設期が大事なのでは?特にその期間の中で人々に「見通し」を与えることが大事。
 また、例えば震災の仮設住宅を考えるとき「コミュニティ」が大嫌いな人も多い。
 空き家・空き地をどう使うか、ということは被災地、そして今後の日本において課題。
 とにかく、復興までの見通しが大事。
 例えば、東京でこのようなことが起きたときに「地付き」の人と「都市浮遊人」に別れるだろう。その差はやはり政治的なもので対立する。有事の際にいかに振舞うかを考える社会経験をいかにしてもらえるか。
 ☆仮設住宅の計画図が面白い!!いかにコミュニティを醸成するかということを考えた村とそれを嫌う人が住めるスペースのハイブリッド型になってる。
○島原
 ヨーロッパは「ハザードマップ」などの情報開示が義務であり、それによって保険も違う。そういった提示や情報開示があるべきでは?
仮設住宅一戸建てるのに500万、撤去に100万、運営費がかかり二年しか使用しない。もったいない。ならば500万、1000万を被災者にあげて自立できる人には自立してもらう、という仕組みのほうがコストもかからずいいのではないか。その後で自立ができない人に政府が支援すればいい。

○藤村さん
 今回は地域のつながりが強い地域だから良いが、そうでない地域においてどうやって福祉を支えていけるのか?解決策はないが「一人一人のつながり」を作っていくしかない。
例えば、つながりの弱い都市部ではどうか?都市部では高齢者同士が助け合うのではないか?前期高齢者の後期高齢者支援に対する期待値。
福祉と防災の接点。福祉制度を防災制度的に考えることができないか?それが福祉、防災の充実にもなるのではないか。

○中村
 311を契機に社会デザインの領域が前衛的になってきた。

○三浦総括
 行政と民間は「市民」と言わない。国民という。(なぜか庶民はいいらしい笑)
 しかし、今の日本には市民としての力が個人についてきた。市民の芽生え?
 それを行政が統制しようとしている部分に無理が生じている。社会デザインはグランドデザインではない。二項対立でうまくいかないものをつなぐ中間的なもの、メディア的なデザインの在り方を考えている。それが問題解決を早めるのでは?

○藤村総括
 消費が変わっているのに経済は変わらない、市民は変わっているのに政治が変わっていない。それが今の問題。今日の錯綜した状態の中で「中間」の解決が有効かもしれない。

○会場質問
 実際の現代社会規範(プライバシー意識など)の中で地域公共圏をつくっていこうとお考えなんですか?(戦略論としての地域公共圏創造)
 →(山本)
  ニーチェは強い個人を希求。(現代的な自我)助け合いや共感は弱さ。ダーウィンは助け合ってきた生き物だけが生き延びてきた。「いかに共闘するか」が大事だという。人間もまさにそうした生き物。実際、被災地では助け合いが行われている。(そこに公共圏の可能性があるはず)皆が仲良くしていこう、というような公共圏ではなく構造主義的に公共圏を作る。(社会設計・社会改良論的?)
 →(大月)
  コミュニティは必要。確かにコミュニティは弱い人のためのものだが、ではこの社会にコミュニティなしで生きられる強い人はどれだけいるのか?
  一家族一住宅は反対だが、実際に一家族一住宅は多いのか?生活調査の中で実は違う住まい方が多いという実感がある。私達は生活の知恵の中で公共圏を作っている。

○会場質問
 コミュニティが好きな人・大嫌いな人がいる。その棲み分けは物理的な棲み分け以外になにかないのか?
→(島原)
 コミュニティが嫌いな人はいるが、人は誰しもコミュニティの中にいてそれが全て嫌いということはない。(村社会的な束縛性のあるコミュニティが嫌いな人はいるかもしれないが)棲み分けは本当に必要か?旧モデルと新モデルの共存する過渡期においては悪者探しの意味はなく、いかに書き換えていけるかの戦略が大事。


(一部終)


二部へ続く。



杉田



別府旅行記2011 鈴木編

アンテナのメンバーで別府に行ってきました!色々あったのですが交流を深めたAPU(立命館アジア太平洋大学)について感じたことを書きたいと思います

APUの魅力と言えばやっぱり海外思考の強さですね!

APUは80以上もの国や地域からの留学生が通う国際交流が盛んな学校なのですが

僕の想像を遥かに越えていました

大学生活で様々な国の人と生活し、みんなどこかに留学するんだろうなー…

そのくらいのイメージでした

しかし、実際APUの学生の方々に話を聞いてみると
10ヶ国以上に行っている人なんか当たり前!!
時間があれば海外に行っちゃうという感じでした

かなりショックでした!!
東京の一般的な大学生であれば海外によく行く人でもそんな人はなかなかいないですよね(まして僕は全く)
海外に対する意識の高さに本当に衝撃を受けました

ですが、APUは海外一色だな という印象も受けました
APUでは出来なくて東京で出きること、東京の良いとこを考えると
やはり何でもあるということでしょうか
やりたいことがあれば何でも実行することができます
APUほどじゃないかもしれませんが、本当で海外まわりたいと思えば実行できます
やりたいことがあれば何でも実行することができます
APUほどじゃないかもしれませんが、本当で海外まわりたいと思えば実行できます
ただ、明確にやりたいことがあり、本当で実行しようとすればの話です
東京では、これをやろう!というものがなければ何もできないと思います
その点で、何がやりたいかはっきりしない僕は
当たり前に海外に行くというAPUの環境が羨ましく感じました
また、APUの学生たちにはコミュニケーション力の高さを感じました
初めての人でも変に遠慮したり緊張したりすることなく話しかけてくれ、キャラをつくったりしたないで(多分)人と交流できるのは
やはり色々な国の人と交流してるからこそ だと感じました

APUという学校からかなり刺激を受け自分の意識を高めることができたと思います


今回この機会をくれた皆様本当にありがとうございました!

鈴木

別府旅行記2011 橋本編

6/17
大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)へ行ってきた。左手には海、右手には山、そして至る所に温泉の湯煙が漂っていた。APUはその山の中にあり、校舎と校舎が切り取って見える景色はとても幻想的(当日は雨や霧などで尚更)で特異な環境だった。そして大学内には色々な国籍の学生で溢れ活気づいていた。津田さんやAPUのナオスケさんにお会いしてすぐに「東京の学生は生命力に欠けるね」と言われ割と落ち込んだのだが、その通りで、APUの雰囲気に圧倒されてしまった。

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原田曜平さんと津田大介さんの講演会に参加していたAPU生、その後食事会に来ていたAPU生を見て、話して、やはり東京の大学生とは大きく異なっていると感じた。
まず、我がとても強い。悪く言うと空気が読めない。しかし一方では、こちらの話を真剣に聞いてくれ、それに対してアツイ意見をぶつけてくる人もいた。APUの学生は空気が読めないことと、真面目な(東京だと茶化されるような)話合いができるというのが一番強い印象。

なぜAPUの学生がそのような特徴を持っているのかを考えてみた。つまり「APU生の人間関係の距離のはかり方」がどうやってできたか、ということ。

はじめに、APUは外国人が多く英語でのコミュニケーションが必須である。やはり英語を使ってコミュニケーションをとるということは当然、自分の意見をストレートに伝えなければならない。よって空気を読む必要はないのだ。
次に、放課後や休日にAPU生同士で飲みにいかないライフスタイルに驚いた。周りに娯楽が少ない地方なのだから、友達と飲むぐらいしか楽しみがないのかと思っていたが、意外と皆学校が終わったら帰宅するかバイトに行くだけの生活らしい。これでは対人関係が得意になるわけがない(もともとKYなAPU生同士で飲んだところで…という気もするが)。
最後に、東京のように人口密度が濃く、ネットワークが広く、空気を読んで生活する環境で過ごしたことが無い、または少ないというのがAPU生の我の強さに繋がっているのではないかと思う。もちろんそれは当たり前なことだが、同時に東京の異常さにも気づかされた。

しかし我の強さ、KYなところは一概にダメということではなく、逆に僕なんかは羨ましいとも思う。自慢げに堂々と意見を話す姿勢、自分の意見を突き通すぶれない精神は、東京の学生だけでなく日本人が苦手とするところなので、やはり特異である。


最後にAPU学生に対して感じたことは「海外志向が強く旅行も留学も経験豊富、しかし日本(東京)をよく知らない」ということだ。海外の情報は僕たちより確実に多くもっているが、日本の中心地を知らないのでいまいち話に実感が湧かない。治安の悪い国には平気で行くのに、東京の人混みや建物や人が恐いから好きじゃないという言葉には驚かされた。

APUが強烈過ぎて別府について触れていなかったが、別府はとても素敵な街だった。先ほど述べたように至る所に湯煙が立ちのぼり非現実感が気分を高揚させてくれた。中心地の商店街などは昔から姿を変えていない様子で、東京のようになんでも揃っているわけではないが、別府という街が成り立っている感じがしてよかった。そしておいしそうなお店が多い。実際にとり天やお刺身はどれもおいしかった。


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講演を聴き、APUの学生と出会い、おいしい食べ物と温泉に浸かりとても密度の濃い三日間だった。この機会をくれた先輩方と案内をしてくれたAPUの先輩のおかげですばらしい三日間を過ごせたのでこの場でもう一度感謝を言いたい。

本当にありがとうございました!



橋本
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